仙台・話題の現場
 変化の激しい最近の仙台で、話題になっている場所やマスコミで報道された現場を実際に行ってレポートします。

REPORT 172
仙台空港の完全復旧
撮影2011年10月上旬
 
東日本大震災の津波に襲われた仙台空港が、今月から全面復旧しました。
仙台空港は名取市の海岸沿いにあり、3月11日の大津波が防風林をなぎ倒し、
貞山堀を越えて空港に達しました。



 
乗車スペースのドーム状に連なる屋根に届くほどの津波が押し寄せ、1階部分は完全に水没し、
滑走路も汚泥や瓦礫で埋まり使用不能に。鉄道や仙台港などの陸と海の輸送手段も震災で
使えなくなり、救援物資の輸送はトラックや自動車のみとなってしまいました。



 
早期に仙台空港を利用できるようにするために、米軍が復旧作業に協力、米軍の輸送機を発着可能にし、
「トモダチ作戦」の拠点として、ここから各地へ救援物資を送り届けることに尽力しました。
その後、4月中旬に国内線が乗り入れを開始し、空港としての利用が再開されましたが、
空港と仙台駅を結ぶアクセス鉄道は、地下トンネル部分が浸水するなどの被害を受け、
仙台駅から途中の美田園駅までの折り返し運転状態が続いてました。



 
今回、その不通部分も復旧工事が完了、仙台空港アクセス鉄道が全線開通しました。
国際線も復活し、今月からは空港ビルの3階部分や展望デッキなども利用が再開され、
約7ヶ月ぶりに仙台空港が全面復旧しました。



 
河北新報によると、アクセス鉄道の運輸指令室や信号通信機器室などが仙台空港駅の1階にあり
被災してしまったため、今回の復旧工事で2階に移設、レールや架線設備の交換など、
約30億円の復旧費用がかかったそうです。



 
1日40往復、最速17分で仙台駅と空港を結ぶ路線の完全復旧で、
空港の利便性が震災前と同じになりました。



 
仙台空港アクセス線は、震災前から利用客数が伸び悩み、赤字に悩んでいましたが、
多くの人に利用してもらって、少しでも採算性が上がって欲しいですね。



 
仙台空港ターミナルビルの1階へ入ってみましょう。震災時、完全に水没して汚泥に埋もれ、
流されてきた瓦礫や車などが積み重なっていたとは思えないほど綺麗になっていて、
震災の跡は全く残っていません。各設備や備品の交換のほか、内装も貼り替えたのでしょうか。
あるいは入念に洗浄したのか、壁や柱などに津波の跡は見つけられませんでした。



 
見た目では震災の被害が全く感じられませんでしたが、「仙台空港 復興の歩み」と書かれたパネルや、
全国から送られた寄せ書きと折り鶴が飾られていて、津波被害が現実であったことを実感させられました。



 
2階です。2階には多くの土産物屋が店を出していますが、復旧作業の「トモダチ作戦」実行中は、
ここで大勢の米軍兵士たちが寝泊まりしていたそうです。



 
2階にも、復旧・復興の様子を記録したパネルが展示されていました。



 
パネルの写真を見ると、改めて仙台空港と周辺の被害の大きさを思い知らされると同時に、
空港が、ここまで完全に復旧したことに驚いてしまいます。



 
3階に上がってきました。3階にはレストランや屋内展望スペース、エアポートミュージアムなどがあります。
国内線が乗り入れ、空港の一部利用が再開した後も、閉鎖されたままでしたが、先月ようやく再開しました。



 
去年の3月にオープンしたばかりだった屋上展望デッキも、震災以降閉鎖されていましたが、
先月、再オープンしました。



 
ここから海岸方向を見てみると、津波の爪痕が確認できました。
海岸沿いに植えられていた防風林が、ほとんど流されてなくなっていました。震災前の写真と比較してみます。



 
上の写真は去年4月に撮影したものですが、滑走路の外から海までの間が鬱蒼とした林で
覆われているのがわかります。この防風林が津波で流されてしまいました。



 
甚大な被害を出した東日本大震災の津波から、仙台空港は完全復旧しましたが、空港の周りは
瓦礫の撤去は進んだものの、まだまだ震災前の風景から一変した状態のままでした。
再び防風林を植えるのか、あるいは津波対策の防潮堤を作るのか、わかりませんが
早期に完全復旧した空港とは違い、空港周辺が普通の状態に戻るのは、だいぶ先のようです。








このページの最初へ
前のREPORTへ 話題の現場TOP 次のREPORTへ



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送